YAPC::Hakodate 2024をやるぞ!と言い、YAPC函館市電LTもやった

※このエントリは、私わいとん 個人 の飾らぬ思いであります。

YAPC::Hakodate 2024の実行委員長という大役を仰せつかってからおよそ7か月、2024-10-04に前夜祭、2024-10-05に本編、2024-10-06にアフターイベントをそれぞれ開催し、無事に閉幕までやり遂げることができました。

たくさんの方々・企業のみなさんに貴重なお時間とお力を割いていただいた結果できたことです。ありがとうございます。私自身も大変楽しませていただきました。

写真コーナー

なかなか当日は忙しいこともあって写真を撮る余力があまりなかったのですが、その中でも撮影したものを載せておきます。雰囲気が伝わるといいのですが。







YAPC::Hakodate 2024はアートである(と私は勝手に思っている)

※ここから先は小難しい話が続きます。面倒な方はここで読み終わりとしてください。

YAPCをはじめとしたイベントはMICE(マイスと読む。Meeting, Incentive travel, Convention, Exhibition の頭文字をとった略語)と呼ばれるものに相当するでしょう。学びを共有するためだったり、コネクションの開拓を促す目的などで開催されることがほとんどではないでしょうか。YAPC::Hakodate 2024(以下、YAPC函館)についてもそのような側面は持ち合わせていますので、これは間違いなくMICEに分類されるイベントであると考えてよいはずです。

一方、YAPC函館はアートであると私は考えます。アートというのは心を豊かにするモノやコトであるとここでは定義します(美術の範囲に限らない広義の用途を意図しています)。

YAPC函館に参加された方は、多少なりとも感情あるいは知的好奇心を大いに揺さぶられたことではないかと想像します。そして次のYAPCにも参加したい、という思いを持ったことでしょう。

この感情・知的好奇心の高まり・思いが生じたことこそが、YAPC函館がアートであることを示しています。人はアートを通じて知的・心的欲求が高まり、次のアートを求めるのではないでしょうか。

YAPC函館がアートであるならば、そのデザイン手法について説明せねばなりません。そうしないと、YAPCは一点ものアートのままになってしまいます。アートであり、かつ工芸品でもあるものにしないと、作り手に依存したままの存在になってしまいます。

ましてやYAPC函館はイベントなので、必ず緩やかに風化していくのが定めづけられています。次に続くYAPC実行委員長(ビキニキさん)が、より楽しくYAPCの企画を推進できるように、YAPC函館と私の事例について共有します。

やるぞ!と言った理由

YAPC函館開催の顛末については概ね YAPC::Hakodate 2024 非公式予習会を開催しました! - inSmartBank に書かれている通りとなります。

しかし「私がYAPC函館をやるぞ」と言った理由についてはちゃんと答えていなかったですね。概ね以下の通りとなります。

  • 函館への経済効果を期待した
  • 函館および北海道の情報技術系の学生/学府との交流を活性化したかった
  • 都市圏の企業に函館をより解像度高く知ってもらい、函館にITの仕事を増やすきっかけを作りたかった

なんでお前はそんなに生まれ故郷にこだわるのか

これについては端的に「涼しくて飯が安くてうまい函館、良いべえ?」と思っているからです。

しかしながら、ITの(に限らないが)仕事が少なすぎるという弱点があまりにも強すぎるため、手放しに「良いべえ?」とは言い切れない。現に私自身が工業高校を出て就職をしようとしたとき(1998年)に、地元企業の求人票が全然なかったことを今でもはっきりと覚えていますし、本当は地元を離れたくなかったけど、当時は仕事のために東京の会社に就職するしかなかったんです。

であればどうすればその弱点を克服できるか、という事をまあまあ度々考えてしまうわけですが、そのための「もがき」なのかもしれないですね。

YAPCのイベントとしてのフレームワーク性

個人的な観点となりますが、YAPCでは以下のフォーマットが踏襲されるべき大きなポイントであろうと思います。

  • 前夜祭を行う場合は不採択となったプロポーザルに復活の機会を与える
  • 本編は休日・祝日
  • メイン会場は最低でも300人程度が一斉に集まれる
  • LTがあり、キーノートがある

上記の他にはスポンサーに関するフォーマットなどが考えられますが、ここでは割愛します。少なくともJPAがこの点についてはしっかりとバックアップしてくれたので大変助かりました。また、実行委員長としては熟知するよりすぐ調べられる状態にするのが現実解かと思いました。

もちろん開催にまつわるドキュメンテーションや数字などを事前にまとめておいて、それを脳に焼き付けておくことがベストだと思いますが、私の能力ではそれがうまくできなかったので、次善策で対処したといったところです。

イベントのデザイン手法

では、今回のYAPC函館をやるぞ!といった理由について実現度を高めるために、私がどんなことを考えていたのかを明らかにしていきます。


前夜祭

前夜祭は以下の事を意識して司会という役割を務めさせていただきました。

  • YAPCで紡がれてきたつながりを引き継いでいく場を提供する
  • シニアエンジニアも学べる場にする

そのために、次のようなイベントデザインを心がけました。

同窓会としてのYAPC前夜祭をデザインしたかった

YAPCは過去に国内で複数回開催されています。元々はPerlのカンファレンスだったのですが、近頃は以前のYAPCで知り合った人同士が再会を果たす「同窓会」のような機能も期待されていると感じています。

それであれば、「同窓会」に参加してくれる人がまた来たくなるようなイベントにする必要が出てきます。下記のような話題は経験豊富なエンジニアやマネージャー、YAPCガチ勢に好まれる傾向にあると考えます。

  • 古いシステム/環境などの話
  • Perlの話
  • マネージメントの話

また、同窓会らしさを演出するのであれば、コミュニケーションをとるためのツールも必要になります。つまり、飲食です。ここはその土地の色を出せるところですので、以下のような選択をするのが良いだろうと考えます。

  • 地元のソウルフード
  • 地元のクラフトビール
  • その他、地元色が出せる食べもの・飲みもの

地元色を出すことで、経済面でも地元への貢献度が向上するので、これは絶対におススメしたいです。

30代/40代がさらに上の世代から学び取る場をデザインしたかった

YAPC自体が歴史の長いイベントであるということを考慮すると、同窓会を期待している人は確実に30代オーバーということになります。ええ、もちろん私も例外ではなく、もう少しで44歳になります。

私も含め、30歳オーバーの参加者がさらに先輩の世代の生の体験談から得られる学びは間違いなく貴重な体験だろうと考え、50代付近の登壇者をピックアップして座談会を企画しました。

YAPCというブランドで紡がれてきたつながりを次の世代にも体験してもらいたかった

アンカンファレンスについてはアイスブレイクとしての役割を持たせたつもりだったのですが、テーマを公開する機会を逸した結果、最初のタイミングでは誰も反応しないという状況でした。あとAIにテーマを作ってもらった結果、思った以上に「重い」という感想をいただいており、このへんはちょっとしくじったな、と。

どうにかしてアイスブレイクさせなくては・・・と悩んでいた矢先に、見覚えのある @moznion 氏が何やら楽しそうにビールを飲んでいたので、つい「レガシーシステムの刷新について何か言いたそうですね?」という無茶ぶりをして登壇させたのでした。彼が登壇してすぐに言っていた通り、これは仕込みナシです。コーナーが終わった後に彼が私に軽く文句を言うであろうところまで私の中では織り込み済みでした。

結局私の目論見は見事に当たり、@moznion, ma.la, @dankogai, macopy, @pastakなど(敬称略)による解説と見解、そして若干の漫談のようなものを交えながら、見事に場が盛り上がったのでした(見ての通り、最初の10分くらいはほぼmoznion自身のコンテンツ力のおかげですが)。

このようなやり取りを見て、特にYAPC初参加の方や学生などの若い世代の人々に、YAPCで紡がれてきたつながりを感じ取っていただけたのであれば本望です。


本編当日

本編は前夜祭とは大きく変わり、以下を重要視していました。

  • 技術について語り合う場にする
  • これでこそYAPCだと思わせる
  • 年齢・属性関係なしに楽しく学べる場にする
  • 前評判や偏見を取り除き、Perlの良さを再確認してもらう
  • 次のYAPCにも参加したいと思ってもらえる会にする

そのためにどのようなことをすればよいか、というのを自分なりに考え、以下のような指針でイベントデザインをしたつもりです。

年代に関係なく学びのある場を作りたかった

例えばエンジニア組織のマネジメントに関する話題は、ある程度成熟したエンジニアにとっては学びとなり得るものだと思います。しかし、これからプログラミングを学んでいく若者にとっては、いきなりそのような話題を聞かされたところで、なんのこっちゃ、となってしまうはずです。

ですので、なるたけ技術的な学びが得られそうなプロポーザルを採択する傾向となりました。これは、技術的な学びについては、技術カンファレンスに来ているのだから、ある程度多くの人が興味があるはずだろう、という考えに基づいた判断です。

YAPCじゃないと聞けない知見を集めたかった

いくら技術的な学びがあったとして、「YAPCで話すことが相応しい」プロポーザルでなければ通すことはできません。これは例えば、そのプロポーザルはほかのカンファレンスのほうが受け入れられるであろうという内容であれば、優先度を下げる必要があったということでもあります。

今回はとくに、Perlについて触れているプロポーザルを積極的に採択しました。しかしそれでも「Perl成分は薄めだった」という感想もあったようで、それだけPerlについて話そうとしたプロポーザル自体が少なかった、ということだと思っています。

様々な技術に対するフラットな視点を持ち帰ってほしかった

YAPCはPerlのカンファレンスですので、Perlに関するトークに触れて、少しでもPerlについて興味を持っていただきたかった、という気持ちがありました。

Perlに対する様々な視点をお持ちの方もいらっしゃることは承知していましたが、それでもひとつの技術としてフラットに捉えてほしいですし、それはPerlに限らずほかの技術についても全く同じことを思っています。

好き嫌いで触る技術を選ぶのも結構なことだと思います。しかし、一辺倒な視点から脱却するには、まったく異なるものをまっさらな意識で触れてみること、そしてそのようなことに慣れる必要があると考えました。

とくに若い世代の皆さんには「温故知新」の精神でPerlをはじめとした技術に触れてほしいと思ったのです。

技術に熱中する人々とその情熱を知ってほしかった

今回のゲストは、アカデミックな世界で活躍されている方々や若き技術者を中心にお声がけをさせていただきました。

これは、その分野の技術に情熱を注ぎ続けている人々とその軌跡を間近で見ていただくことで、技術そのものの面白さと可能性、そして技術に熱中するという生き様を知っていただきたかったのです。


市電LT

私が作って経営している会社 Y.pm LLC が主催となって開催したYAPC函館市電LTですが、こちらについては、以下の点を重視しました。

  • 函館と北海道、路面電車が好きな方を少しでも増やす
  • YAPCというイベントに強烈なインパクトを付け加える
  • 面白い技術者との交流を深める場を提供する

函館市電LTに参加するような遊び心のある人を知っておきたかった

完全に私個人の欲求の話となりますが、そもそもYAPC函館市電LTに参加してくれた人はかなり「覚悟が決まった人」だろうと勝手に思っています。そんな「覚悟が決まった人」を私としては「ぜひとも仲良くしたい」と思っています。

要するに、私は一緒に遊びを全力投球でやってくれる人が好きなんです。

自社の宣伝をしたかった

私の会社をひとことで言い表すと「零細システム開発会社」というものになると思います。

そんなシステム開発をやっている会社にとっては、案件こそが命の源泉なのです。そのために冒頭ちょっとだけ自社の宣伝をしました。会社の予算を使ってやっている以上、これはやらないといけないやつです。


その他

個人的な思いといいますか、若き日の原体験から思ってきたことを最後に書いておきます。このあたりはYAPCとは関係ない文脈になりますが、背景情報として参考になればと思います。

生まれ故郷に元気を与えたかった

正直、函館という街は国内でもかなり苦戦を強いられている斜陽都市のひとつです。ここ最近は某アニメ映画やインバウンドのおかげもあって観光業とその周辺はなかなか景気が悪くない様子ですが、付加価値の高い第三次産業が弱いこともあって、ITに関する仕事も例にもれず大変希少な状況です。

そのため、恐ろしい勢いでの人口流出と自然減、高齢化の進行が深刻な問題となっていて、私が生まれた当初(1980年)はおよそ35万人直前程度の人口がいましたが、現在ではとうとう25万人を割ってしまい、今ではおよそ23.7万人程度となっています。2040年には17.5万人程度になると予想されています。

深刻なのが生産年齢人口の減少です。1980年におよそ23万人の生産年齢人口がいましたが、2025年には大体12.5万人にまで減少するとされています。2040年には10万人を下回り、8.8万人程度まで減少するだろうという予想がされています。

一方、生活ガイド.comの全国住みたい街ランキングでは39位となっており、そこそこ健闘しているなあという風に思いました。

こんな感じで、全般的に衰退する未来が予想されている一方、多少住んでみたいとは思われている(けど実際に住む人は少ない。家族の意見もあり、私自身もいまだに函館には戻っていないですし。)という、なんとも難しい状況なのが私のふるさと「函館」です。

良い面もたくさんあります。涼しいし飯がうまいし安い。人が多すぎない。風光明媚な自然が盛りだくさん。ただ、市民に元気を与える話題がちょっと少なすぎやしないかと。

なので、何らかの大き目なイベントを呼ぶことで街の経済活性につながるのであれば、それにはできる範囲で協力しようと思い、YAPC誘致に名乗りを上げた次第です。

函館に住んでいる若者が函館で働くことをあきらめない未来に近づけたかった

そもそもなぜこんなに生産年齢人口が減少しているかというと、端的に街に仕事が少なすぎるのです。地方都市ではよくある話ではありますが・・・。

それでも、特に情報通信業の有効求人者数は令和4年から比較して令和5年では485.7%にもなっているので、少しずつIT化の波が函館にもようやく届き始めているのかもしれないです。

また、未来大や函館高専という情報系学科をもつ学府が函館には存在しますが、ITに関わる求人数はまだまだ彼らの多くに対してリーチするには少なすぎるというのが現状です。その一方で、開発拠点を函館に置き始める企業も出てきているようです。


まとめ

  • YAPC函館は一点もののアートである
  • やると決めた理由は「函館に元気を与えたかった」「未来大などの情報系学科の学生と大企業のつながりをもたらしたかった」

最後に御礼を

ごちゃごちゃと書きましたが、YAPC函館を無事終えることが出来たのは、以下の皆さまがご協力くださったおかげです。

  • 参加者の皆さま
  • 登壇者の皆さま
  • 当日スタッフの皆さま
  • JPAの皆さま
  • スポンサー企業の皆さま
  • 未来大の角先生
  • 未来大企画総務課の吉田さま
  • 未来大生協の本間さま
  • キッチンカー(函館ナントカ食堂, くいだおれ太閤, てつまるケータリング)の皆さま
  • 清掃事業者の皆さま

皆さま、本当にありがとうございました。そして、コアスタッフ(@__papix__, @karupanerura)の二人には特に感謝しています。

絶対自分のせいで面倒なことになった部分もあったのに、きわめて冷静沈着に状況をよくしようと立ち回った@karupaneruraには本当に助けられましたし、@__papix__には気持ちの面やアイデアが出てこなかった時に心強いフォローをいただきました。

私自身も「必ずやり遂げるし、やるからには絶対に成功させるぞ」という気概をもって取り組ませていただきましたが、彼ら二人の情熱はそれを凌ぐものがありました。でも、健康面にはもう少し気を配ってもいいんじゃないかって思います。さすがに睡眠の質がよろしくなさそうな話を聞いた時には割と本気で心配しました。今は良くなっていることを祈ります。

あと、広島の三次会?で生じた風のうわさを教えてくれた @myfinder にも感謝しています。彼はいつも私の尻に火をつけるのがうまく、今回も私に「YAPC函館の機運が来たかもしれませんよ?これはやるしかないんじゃないですか?」と立ち飲み処で教えてくれました。このムーブがなかったら今回はほかの地域での開催となっていたか、開催が見送りとなっていたのかもしれません。

とにかく、開催できてよかったと思っています。本当にありがとうございました。